皆さんこんにちは。司法書士の松崎充知生(まつさき)です。
今回は 退職者に資格取得費用の返還を求めることができるか? についての記事になります。
勤務している会社を退職する際、会社から退職社員に対して、当時会社が負担していた資格費用を返還するように求められて、退職時に問題が生じるというケースがあります。
会社側からしてみたらせっかく費用をかけて従業員に資格を取得させたのに、その後に退職をされると裏切られた気持ちになって頭を抱えてしまうと思います。
社員側は退職をする際に金銭の支払いを余儀なくされてしまい、退職することに抵抗を感じたり、気持ち良く会社を去りたいと思っていても後腐れが残ってしまうでしょう。
士業業界でもこのようなケースを見かけます。
例えば、事務所の採用情報に「士業の登録費用、会費は事務所負担」との条件があり、事務所に入所して資格登録後、業務に取り組み、しばらく経った頃に退職をしようとしたところ、事務所から最初に負担した登録費用を返還するように求められたというケースです。
このようなケースは認められるでしょうか。
以下見ていきます。
退職者に資格費用の返還を求めることは違法!
結論から言うと、
社員が会社負担で資格取得をし、会社がその後に退職する社員に対し、資格取得費用の返還を求めることは労働基準法違反になります。
労働基準法16条(賠償予定の禁止)に抵触し、返還を求めることはできませんし、このようなルールを定めておくことも無効となります。
労働基準法 第十六条(賠償予定の禁止)
e-Gov法令検索 労働基準法より引用
使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。
使用者とは、雇い主、会社経営者のことを指します。
違約金とは、約束事を破った場合に損害の有無関係なく支払いをしなければならない金銭のことを指します。(※1)
損害賠償額の予定とは、約束事を破った時に実際の損害の有無、損害額関係なく損害賠償額をあらかじめ決めておくことを指します。若干意味の違いがありますが、違約金=損害賠償の予定となっているケースが多いです。(※1)
つまり、社員が何かをした時に備えてあらかじめ罰金を設けておくというルールはダメということです。
社員が退職届を提出した時に、会社側から資格費用を返還するように求めることはできません。あらかじめ「資格費用会社負担(2年勤務後は返還を免除する)」と規定を設けていても、その規定は 無効です。退職社員は返還に応じる必要はありません。
退職時に限らず、「〇月〇日までに営業成績〇〇万円が残せなかったら罰金」といったルールを設けること自体がこの労働基準法16条に抵触する為、違法となります。
日本では、憲法で 職業選択の自由(※2) が保障されており、労働者が職業を自由に選ぶことができ、退職もまた自由に選ぶことができることになっています。
しかし、退職時に資格費用の返還を求めるようなルールがあると、その費用を支払えない従業員は退職することができなくなってしまいます。こういったルールが結果的に退職の妨害になっています。
また、従業員が退職の意思を示したのにそのまま会社に残り続けることは強制労働の状態になります。このような従業員の退職を保護するために、労働基準法16条が定められています。
もし、労働基準法16条違反があった場合は、会社側(使用者)に対し、
- 6カ月以下の懲役
- 30万以下の罰金
が課せられることがあります。(労働基準法第119条)
このように、会社が資格費用の返還を請求することで従業員の退職を妨害してはいけません。
(※1)参考条文
民法 第四百二十条(賠償額の予定)
当事者は、債務の不履行について損害賠償の額を予定することができる。2 賠償額の予定は、履行の請求又は解除権の行使を妨げない。
3 違約金は、賠償額の予定と推定する。
e-Gov法令検索 民法より引用
(※2)参考条文
日本国憲法 第二十二条
何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。② 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。
e-Gov法令検索 日本国憲法より引用
従業員に資格費用を「貸与した場合」は例外もある。
会社負担の資格取得費用が無駄にならないようする対策として、
「会社が従業員に対して、資格取得費用を貸与することとし、一定期間継続勤務することにより取得費用の返済を免除する」とする条件付金銭消費貸借契約を締結するところもあると思います。
この場合は、資格費用の返還を求めることは罰金の意味合いではなく、貸し借りの約束に基づいたものであり、労働基準法16条の例外で(違法にはならず)、認められることがあります。
こういった記載は士業事務所でもよく見かけます。
事務所の採用情報欄に「登録費用事務所貸与(2年勤務後は返済を免除する)」といったものです。
貸与であればよいのか?
では、従業員に貸与をした形式を取っておけばよいのかというと、そうでもありません。
あらかじめ会社と従業員間で条件付金銭消費貸借契約を有効に成立させるためには、
以下の基準を満たしているか総合的に判断していく必要があります。
- 貸与を受けるか受けないかを、社員が自由に決めることができる
- 労働契約とは別に金銭消費貸借契約を締結している
- その資格が業務上必須のものではない
- 返還金額が従業員に支払える妥当な額である
- 返還免除の条件となる就労期間が合理的な期間である
会社が社員に対し、会社の業務をするために必要とされている資格の取得を義務付けているような場合には、その費用はそもそも会社が経費として支出するべきものとされています。
このような基準を満たしていないと、条件付金銭消費貸借契約が有効かどうかについて争いが生じた時、その契約が 無効 になる可能性がありますので注意が必要です。
条件付金銭消費貸借契約が有効か無効かについて、判例も複数あるのですが、上記の判断基準をもとに事例ごとに総合的な判断をされているので結論が分かれます。
主に看護学校の費用、留学費用、運転免許等についての論点が多いですね。
費用返還契約が労働基準法16条違反とされた判例
- 和幸会事件 (大阪地裁平成14年11月1日判決)
医療法人和幸会が、グループ内の看護学校の入学した看護学生達との間で、入学金、授業料、施設利用料等を貸し付ける修学資金貸与契約(3年以上勤務した場合は全額の返済を免除する旨)を締結したが、その看護学生達が勤務する前に看護学校を退学したとして、貸与金の返還を求めて争った事件。
(判旨)
修学資金貸与契約は、労働者の就労を強制する足止め策である為、労働基準法14条・16条に違反し、無効であるとして医療法人和幸会側の請求を棄却。(看護学生側の勝訴)
看護学生達は、看護学校への入学が決まり、貸与を受けなければ入学できないと説明を受けて、やむなく本件貸与契約を締結した。また、医療法人和幸会以外でのアルバイトを禁止され、これに違反した場合は、貸与契約が解除され、直ちに返還義務が生じるとされていた。
- 富士重工業事件 (東京地裁平成8年3月17日判決)
会社の業務遂行に役立つ語学力や海外での業務遂行能力を向上させる為に、社員との間で「5年以内に退職した場合には派遣費用を返済する旨」の合意書を締結させた上で、アメリカへ出向させ、業務研修を実施したが、その社員が帰国してすぐ退職したため、会社側が派遣費用の返還を求めて争った事件。
(判旨)
合意書は、労働者が約定期間前に退職した場合の違約金の定めに当たり、労働基準法16条に違反し無効であるというべきであるとして、会社側の請求を棄却。(従業員側の勝訴)
社員が研修終了後5年以内に退職したときは、会社に対し派遣費用を返済するとの合意が成立してるが、その社員は、自分の意思で海外研修員に応募したとはいえ、本件研修は、会社の関連企業において業務に従事することにより、会社の業務遂行に役立つ語学力や海外での業務遂行能力を向上させるというものであって、その実態は社員教育の一態様であるといえる。
社員は研修期間中に業務にも従事していたから、その派遣費用は業務遂行のための費用として、本来会社が負担すべきものであり、社員側に負担の義務はないというべきである。
費用返還契約が労働基準法16条違反とされなかった判例
- 長谷工コーポレーション事件 (東京地裁平成9年5月26日判決)
社員が会社の留学制度を利用し、会社との間で誓約書(帰国後一定期間が経過する前に退職した場合、会社が負担した留学費用を返還する旨)を交わして留学したが、帰国後2年少々で退職をした為、会社がその留学費用の返還を求めて争った事件。
(判旨)
誓約書は一定期間勤務した場合に返還を免除するという特約が付いた金銭消費貸借契約が成立しており、労働契約の不履行によって生じるものではないため、労働基準法第16条に違反しない。会社側の返還請求を認めた。(会社側の勝訴)
今回の留学制度は社員の自由な意思によるもので,業務命令ではない。
留学費用の為に交わした誓約書は労働契約とは別個の条件付金銭消費貸借契約である
「留学経験によって得たスキルは退職後も従業員が保持することができるものと考える。
- 東亜交通事件 (大阪高裁平成22年4月22日判決)
タクシー会社が入社した乗務員2名に対し、教習所の授業料、交通費、教習費、就職支度金の貸し付けるために条件付金銭消費貸借契約(タクシー乗務員として800日の乗務日数を満たしたときは返済義務を免除する旨)を締結したが、その条件を満たす前にその従業員2名が退職した為、貸与金の返還を求めて争った事件。
(求人情報には、「2種免許取得費会社負担」「教習期間中日給1万支給」「就職支度金20万円住宅提供可」等と記載されており、その内容を見て応募した。)
(判旨)
教習所の授業料と交通費については労働基準法16条に違反しないので、会社側の請求を認める。一方、教習費と就職支度金については労働基準法16条に違反するので、会社側の請求を棄却。(会社と乗務員達との引き分け?)
教習を受けることは従業員の自由意思に委ねられ、教習中は会社の指揮監督下にも無いので業務には該当しない。2種免許の取得は従業員の利益となるので本来従業員が負担すべきものである。
教習費、就職支度金については、求人広告に貸付金との記載はなく、賃金との誤解を与えてしまう表現になっていた。また、会社側がこれから入社する元従業員達に十分な説明をしていなかった。これらは賃金的性格を有するとし、会社側が貸付金と主張することは信義則上も許されない。
士業登録費の場合はどうなる?
士業の登録費用について、入所当時、登録費用は事務所負担としていたところ、しばらく経ってから退職するとなった場合、事務所側が退職者に対して当初の登録費用を返還するように求める という事例についてはどうでしょうか。
これは前述の通り、労働基準法16条違反になり、返還請求は認められません。
では、求人情報に「士業の登録費用事務所貸与(2年勤務後は返済を免除する)」という条件がある場合はどうでしょうか。
これは事例をいくつか探ってみましたが、士業の登録費用については判例・裁判例が出てきませんでした。
上記の判例で見ていくと、確かに士業登録を行うと、その資格者は個人的利益を受けるので、将来的に他の事務所に移ったとしてもその士業業務ができるようになります。
一方、士業の場合は、上記の判例のように資格をこれから取得するというよりも、資格を取得するための予備校代、模試代、受験料、教材費は自己負担で既に支払ってきたケースが通常です。
その後に資格試験に合格して、いざ事務所や法人に就職して士業業務を行う段階で登録費用が必要となり、士業という独占業務ができる人数が増えることによって事務所や法人が直接的な利益を得ることになるので、士業の登録費用はそもそも事務所、法人側が支出するべき業務上の経費として見ることもできます。
また、事務所、法人に就職すると同時に、その条件付金銭消費貸借契約が抱き合わせで付いてくることになるので、実際は個人が貸与を受けるか受けないかを、自由に決めることができるものとは言い難いです。
労働基準法16条を知らず、金銭消費貸借契約の締結無しで、ただ登録費用の返還規定を雇用契約書や就業規則に盛り込んでいるだけというケースもあります。
そういった点も踏まえると、
士業事務所の求人情報によくある「登録費用事務所負担(2年勤務後は返還を免除する規定有り)」とあっても労働基準法16条違反で無効になりますし、「登録費用事務所貸与(2年勤務後は返済を免除する)」としている金銭消費貸借契約は、業務での必要性、個人の利益、金銭消費貸借契約の有無、貸与によるかどうかの社員の自由な意思の有無を総合的に考慮しても、必ずしも有効とは限らない。
ということになります。
実際に働いてみないと分からない中で、最初から2年間の勤務縛りがあることは、就職をする際に多少負担に感じる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
2年以内に退職してしまう理由は、独立すること以外にも他に問題がある可能性も視野に入れ、雇用条件や職場環境等を見直していくことが必要かもしれません。
司法書士業界にいて実際に耳にした事例ですが、
退職の際、士業の登録費用の返還を求めない代わりに、一度、自分で登録の抹消申請をしてもらい、再度自己負担で登録し直すように求めるところもあるようです。
これも退職の足止め策になってしまうので、このような請求は認められません。
とにかく、士業業界ではこういった退職時に登録費用を巡るトラブルがあるのをよく耳にします。
最後に
いかがでしたか。今回は実際に身の回りであった話題について記事にしてみました。
退職時の資格費用の返還については明確な基準が法律で決まっているわけではなく、これまで重ねてきた判例から導かれた基準をもとに事例ごとに個別判断をしていくことになります。
皆さんは退職時の資格費用の返還についてはどのようにお考えでしょうか。
退職をするタイミングで資格費用の返還の話が出てくると、トラブルが生じて円満に退職できなくなってしまいます。
これから就職活動をする方は検討している会社にそういった取り決めがないか事前に確認、
既にどこかに勤務している方は就業規則、雇用契約書、金銭消費貸借契約書等に目を通して
再確認をしておきたいところですね。
私もこれを機に労働法をもっと勉強しておこうと思いました。
今回はここまでです。最後までお読みいただきましてありがとうございました。
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